そもそも、マイノリティの意見を取り込んでない、マジョリティにのみ合わせ構築された社会が問題なのであって、この人達に何の責任も無い。これさえ抑えておけば、こんな歪は出ないと思いたいのです。
街で見掛ける「障がい」の人達。
この人達のことを「可哀相」と涙ぐんでまで思い詰める人が居ます。精神然り、身体然り、前述の構造ゆえに、かの人達にとれば不自由な事は多いです。けれど、かの人達はその中で懸命に工夫と努力を重ね、不便を乗り越えようとしてます。歩みが不安定でも、道路に段差があっても、乗り越えてゆきます。それはマジョリティから見れば、鈍足で危なっかしい事なのでしょう。
しかし、その懸命な姿勢を理解せずして、「可哀相」という発想が出てくるのは、一体どういう神経してるのでしょう。
求められれば手伝えばいい、求める勇気の無い人には声を掛ければいい、それだけの事です。
精神障がいも同じです。誰でも罹患する可能性があります。
たまたま病気や障がいを持ってしまっただけの「単なる人間」に過ぎない。配慮は必要でも、特別の哀れみなど要らないし、求められてもいない。
可哀相!?
それは差別ではないのか。
私も完全無欠かと問われれば自信ありません。精進する所存です。