傾聴では救われない人達

会員さんに元国家公務員の人が居ます。
色々と背負っていて、元気に働けるうちは良かったのですが、とある事情をトリガーとして、今の社会でいうところの底辺層に陥りました。

本人さんの頑張りに、私どもの支援も加えて、社会資源への接続までは漕ぎ着けたのです。(あくまで踏ん張ったのは当事者、私は伴走しただけ)

これから、この人に不利益変更が及ばないよう、当人への助言は当然として、行政を初め、各社会資源の監視が必要です。
連絡先人が居ない場合、ひどい扱いを受ける事を、見聞はおろか私自体が身を持って経験しています。

もしこの人が、家族資源に恵まれていたなら、社会資源を必要としなかったかも知れません。
そして今後は、社会資源を有効活用する為の援護者(横でヤイヤイ言ってくれる家族とか)が居ないので、私どもがその代役を担うのです。

全国各地から連絡を貰います。(頼れる)家族が無くて、地域でも孤立している、どこにも繋がりを持てなくて、苦しんだ挙句に、ネットで知り得るのでしょうか、はるか遠方の大阪府枚方市の私へ連絡が来るのです。

異口同音に語らえるのは「既存福祉は助けてくれない」、あるいは「相手もしてくれない」という悲鳴です。
話を聞いてくれた場合も、その先が無い。そして途方に暮れる。

私に連絡くださった人達は全て、社会資源アクセスや、当事者ご自身の再起動によって暫くの安心を確保されています。

相手にしてくれない、その理由は、支援側が相談者の意向を汲み取れない処から来ます。追い詰められた相談者は混乱されています。支援側に対して、理路整然と問題点を説明し、必要な支援を得る。それが出来る状態なら、そもそも追い込まれていないのです。混沌とした相談者の状況を解きほぐして、必要な支援を提供する事を業務とする者が、きちんと仕事しないので、このような状況を生み出します。

当事者ご自身の再起動、その理由は、私の話を聞いて、落ち着きを取り戻し、闘う準備に進んで行かれるからです。

どちらの場合も、当事者が安定を得る道のりへ、安心して進行を開始するには、「「血税給料で支援業務やってる者は然るべき仕事しろ」の勢いで公的準公的機関を叩いて、あなたを絶対に孤立させない。安心して下さい」と伝える事から始まります。実際に動きの鈍い処も在り、だから点火せざるを得ない時もあります。

血税給料を貰いながら本職を遂行せず、福祉の勉強に専念してる人が居ます。受講費から交通費から、その日の日当まで保証された状態で、勉強三昧に資格取得三昧です。
こんなのが資格を振りかざして玉座に居ます。

勉強してる人達ですから、色々な困難を抱える人達の存在は、一応知ってます。
なんとか辿り着いた人は、話は聞いて貰えます。しかし後が無い。

これ、なぜだかお分かりでしょうか。
あなたの事を想像でしか見れないのです。超安全圏に身を置いた状態で相談を受け、勉強したようなケースの当事者の話を聞きます。
「いつまでも引きずれない」「途中で切れたから仕方ない」このようなモットモラシイ理屈で武装しています。
そして失望したあなたは離れていきます。
追いかけて来ませんよ。それでオシマイ。EOF
理解しかねる福祉分断と福祉利権の一例です。

当事者目線を維持している支援者は、あなたの苦しみを身を持って知っているし、だから「話を聞く」だけで終わらせる事なぞ絶対に有り得ないのです。

近隣の人なら伴走支援が可能ですが、遠方の人の場合は現地機関に繋ぐしか出来ません。しかし繋いだら終わりではなくて、然るべき機関の職務遂行状況を監視しています。

(1)資源接続までの徹底した援護、(2)接続した後の支援機関監視、これをセットで取り組まないと、当事者さんの自立は維持できない。

傾聴だけでは救えない人達が出てきます。