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社会福祉における「必要」(ニーズ)という概念の定義について「需要」という概念との対比でまとめたうえで、「主観 的な必要」(ニーズ)の意義について考察しなさい。(1100 字以上、1200 字以内))

 「必要」と「需要」のそれぞれの概念の定義の対比として、第一は、[必要]の根拠が道徳や価値であるのに対して、[需要]の根拠は欲望や欲求だということがある。人は何らかの道徳や価値に基づいて、何かが[必要]であると考える。これに対して、何かが欲しいというとき、そこに特段の価値判断がない。欲しいから欲しいだけである。従って[需要]は欲望の単純表現ともいえる。
 第二は、[必要][需要]の根拠が客観的か主観的かという点でそれぞれ意味が異なってくるということがある。[必要]の根拠となる道徳や価値は客観的なものである。たとえ道徳観や価値観は人それぞれであり、故にそれは主観であるとする考えがあるにせよ、その主観をもつ人は、一定の範囲の他者にはそれが通用すると考えているので、客観的たりうる。対して[需要]の根拠となる慾望や欲求は主観的である。たとえ個人の欲望欲求が、特定の社会において多くに共通していて、それ故にそれは客観的であるという考えがあるにせよ、個人としてそれは拒否可能であるから、最終的には需要は主観的である。
 第三は、(ある)想定されている望ましい状態を導くための、その(ある)ものの[必要]是非は、その[必要]による実現可否による、すなわち、個人の主観を超えて客観的に存在する道徳や価値に照らして、[必要]の提供の是非が定まる、言い換えれば必要の善悪が判断基準になるということがある。そしてそれが[需要]の場合、それを欲する人の欲求充足可否、言い換えれば、その人へ与える快楽と苦痛の可否が、(ある)ものに対する[需要]是非となり、従ってそれは、正・不正の善悪ではなく、快・不快の利害ということになる。

 又、[客観的必要]は、(専門性を含む)社会通念に基づいて判定されるが、[主観的必要]は、当事者等の自らの感覚や思考に基づいて判定される。これはフェルト・ニード(感じ取った必要)、表出されたニードと呼ばれるもので、当事者の直感に基づいているという意味から「直感的必要」とも呼ぶ。この直感的必要は、第三者の目からみると需要との区別が困難なため、結局は需要と同じであるという批判もある。
しかし、一つは、専門性や社会通念に基づく客観的な必要の判定でも誤る可能性があること。一つは、専門家間で意見の対立がある場合や、社会通念の解釈が人々の間で異なる場合には、直感的必要によって決着することもあること。一つは、客観的必要の判定には権力的な要素が伴いがちであること。これら三点を回避する為に、直感的な必要(主観的必要)も有用とされる。具体的にいえば、心身症の人が安定を求めて薬の処方を得る為に、社会通念上の精神論(根性論)、専門家間の意見対立(による処方違い)、それらを融合した権力的要素、これらを回避し、当事者の直感的必要に応じて、自分に合った医師を探しあてること等が挙げられる。