居場所の必要性と結局は「金」

本日(2017/12/31〜2018/01/01)、独りの人から連絡が有り、急遽、自宅兼事務所に泊まって貰う事になったのですが、そういう人が2人重なりました。お一人は身体だけで内容を熟知していますが、もう一人は熟知していますが精神と身体の両方を抱えてる人なので結局は眠れずに、いま送迎して帰宅しました。

その人が眠れない=私も寝ていませんし、これを書いてる、たった今、布団を洗濯機しています。ただいま元旦の午前8時です。

国なのか自治体なのかが進めている居場所と云うのは、枚方市ですと大まかに分けて、高齢者(長寿社会室)、障がい者(障がい福祉室)、ニート等の引きこもり系と総合系(社協etc)になります。また、これらに提供して頂ける資金は最初の設備投資だけで、毎月のランニングコストは想定されていません。

独りぽっちの人が集う場所、いろんな事情で独りぽっちの人が居ます。その人達を365日24時間、受け入れる場所を探しています。ちょうど今月には引越するので、それらを模索しましたが、現状では難しいようです。

大阪府人権総合講座で学びました。偶然にも私が考えている事と合致していました。
「社会の刷り込みに注意せよ」
クレヨンしんちゃん、サザエさん、家族揃ってハッピー。これは単なる多数派であって「全てではない」
孤立と孤独の違いも教わりました。

独りぽっちになるのは、明日は我が身、誰にでも有り得る事です。

役所が用意する居場所は限定的です。例えば高齢向けでは「介護予防」つまり元気な年配者を集めて弱らないようにせよ等。全面的に否定する訳ではありませんが、疑問が無いと云えば嘘になります。

そして、こちら側、ようは運営側ですが、大抵の場合は福祉法人がやってるか、デカイ家を持ってる余裕な人が殆どに感じます。前者には必要な人材が揃ってますし、後者は箱を既に持ってます。
勿論これも余裕な自分達だけに留まらず、皆に幸せを提供しようとする善意な人々ですから、全面的な否定をする気はありません。

しかし、元気な年寄りを集めて、暇主婦が似非子供食堂やって、補助金使って既存の箱を活用する、それは当事者の悲しみ孤独を理解した上でのものでしょうか。

本当に孤独・孤立してる人々は、このレールからは外れてます。従って補助金は使えません。
それでも無理に運営を考えれば、やはりカネ持ってないと出来ません。

私は、誰も置いてけたくない、誰も見捨てたくない。

打開策を模索しています。

いつもながらの感情論で申し訳ありません。