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福祉の分断

これは現場を直視する当事者の唄である。
下記の文章を読み、この状態の事を何と言うか答えよ。

本当に神の救いが必要な人は、教会に来ない(行けない)。
本当に病気治療の必要は人は、病院に来ない(行けない)。
本当に福祉支援の必要な人は、役場に来ない(行けない)。

自身は安全圏に身を置いたまま、下を救済する姿勢。
(1) 国が用意してない事は知らん。
(2) 申請主義と待受型に開き直る。
(3) 福祉資格を仰ぐ権威主義。

当事者そっちのけの押し付け支援。

A これを福祉の分断と呼ぶ。

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支援者と被支援者の隔たり

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社福士やPSWを持とうと思えば、それなりの時間と金が必要です。
多くの場合、何かしらの志を持って、それらの資格に挑むのですから、これ自体は素晴らしい事だと存じます。

しかし、支援の現場でそれは必要ですか?

学歴の無い私は社会福祉主事から社会福祉士への道が開けている事を知って勉強を始めました。今さら大学に行く時間と金は無いです。大学に行けるのなら、それが社福士を取る最短コースですが、叶わないものをネダっても仕方ありません。
上記の勉強をしていれば、支援行動が知識的な側面から円滑になる事は予測できましょう。

しかし、支援の現場でそれは必要ですか?

NPOを一例とするボランティア支援組織は別ですが、公的・準公的機関のそれに就くのに、資格絶対主義が見受けられます。
そして、その割に実力が???な処も在ったり無かったり。

このズレは、「現場を知らない」「当事者目線を持てない」「末経験からの共鳴力不足」から来るように思います。

支援の現場で必要なのは、現場の実情を知っていて、当事者の苦しみに共鳴でき、その上で様々な知識を持つ事でないでしょうか。知識の大切さは人権総合講座で痛感しました。これにより闇雲支援から根拠を持つ支援に変貌しつつあります。
ですが、やはり、当事者目線が先、知識は後だと思います。

今は、同じ福祉向上に関わる支援者と被支援者が分断されているように感じます。
助けてやる、助けて貰う。
それは違うでしょう?
一緒に福祉向上を目指す御同行御同朋。
もちろん只中に居る当事者は、それどころでない。落ち着いてからの話になりますけれど。
少なくとも支援側が、助けてやる思想を、内包してるのは何処か違うように考えます。

我々は自身が現場に居ます。ですから、もし、あなたが何かしらの機関に相談へ行って、「イマイチ」と感じたなら相談ください。
私らの独力で解決できる可能性は有りますし、制度的なレールが適用できそうなら、公的で支援業務やってる人達にキチンと仕事させます。

悪意の無い差別の怖さ

議員報酬に関して座談していた時、
血税の浪費を揶揄する意味で、
議会は糖尿病に罹患している」とのご意見が出ました。

私は即座に「それは差別発言だ。糖質しか摂れない貧困肥満者や、1型糖尿者に対する、思慮欠如だ」と指摘しました。

ありがたい事に、座談メンバー皆さんが即座に理解くださり、「目からウロコだ。君の意見は正しい」と、思考改善いただけました。

悪気が無くとも知らずのうちに人を傷付けてしまう事は多々あります。

私も精進したく存じます。