職業選択の自由と人権と自立支援の実態

生活保護手帳2010別冊問答集、[ 保護決定実施上の指導指示及び検診命令 ] から抜粋要約。

現場(福祉事務所)からの率直な問合せ。(問11-3)
「稼働能力を有する者に職業を紹介した際、職業選択の自由を理由に就労拒否した場合、申請却下又は停廃止の理由となり得るか。憲法が保障する職業選択の自由との関係を示せ」

国(厚労省社会援護局保護課)よりの回答。
「略…国民は憲法27条1項より勤労義務を負っており、憲法25条はこれを前提として生存権を保障したものである。..略..だから与えた仕事を嫌がるなら生保を切ってしまえ、見捨てろ、殺せ」(盛ってます)

この回答について、私なりに二つの問題点を提起します。

(1-01)現状の自立支援の悪辣
多くの生保受給者は、複数の問題が複雑に絡み合った結果として今があると解釈しています。
発達その他精神障害からくる社会適応力の弱さ、家族資源不足から来る経済精神両面の自立成長バックアップの弱さ、病弱、身体障害、タイミング、諸々の条件が重なり、生保受給へ到達する。
早期に精神系を発見し適切なフォローが有れば、充分に支えてくれる家族が有れば、肉体労働をものともしない体力が有れば、身体に対する適切なフォローが有れば、運良く物事が展開していれば、恐らく生保に至らずに済んだのです。

精神疾患を強みに、児童養護経験を強みに、身体障害(あくまで多数派が正常とされる思想ですれば)を強みに、体力自慢を強みに、社会で活躍してる人が居ます。この人達は、これらの強みに加えて、社会のバックアップが上手く噛み合った好例と言えましょう。もっと簡単に言えば、その能力を活かせる、活かす為の経済的バックボーンに恵まれていたのです。
努力を否定しているのでありません。努力を活かせる土台に恵まれたという話。
素晴らしい事に、れいわ新選組の障害者お二人が国会に到達しました。私は大喜びした反面、少し考えました。人、物、箱、金、機会、これらに恵まれていなければ、お二人がここへ到達できていただろうか。

繰り返しですが、生保に至るのは、これらの殆ど或いは全てに恵まれていなかった故。
ある大学の先生が「そんなこと言ってもその人に能力がないのだから仕方ない、分相応の仕事で仕方ない」と仰せでした。これは間違いだと思います。能力が無いのではなくて能力開発の機会が無かったのです。
こうした視点で見れば、自立支援と名乗るからには、職業選択の自由は最大限の尊重が必要でしょう。希望する職業に学卒要件があれば、まずはそこから支援するのが、本当の自立支援ではないですか。多くの人がこれまでに得られていた「機会」を、これまで与えられなかった人に与えるのです。そうでなければ自立支援という言葉は使えない。今のそれは単なる「体制維持のための階級固定装置」です。

(1-02)権利と義務・人権と義務
権利と義務は同列に語れるが、人権と義務は同列・同位でない。人権は義務より優位であり、義務は人権を侵さない範囲でしか課すことは出来ない。このように立憲主義では考えるようです。この解釈を基準とすれば、憲法27条を守れない人は憲法25条が適用されない、などと云うグロテスクな思考は有り得ない。分かりやすい一例を出しますと、重度の障害者が、充分な労働力を提供可能ですか。そしてこの人達に人権は認められないのですか。

(2)国の回答の問題点
以上で述べましたように、機会の平等を考慮せず画一的に同位労働(すなわちウエルビーイングの否定)を強いる、名前だけ立派な「自立支援」の悪辣と、立憲主義を否定するような人権観。今回の国の回答は、少なくとも、この二つの問題点を有すると考えます。

どうも言語化が下手糞です。どうぞご意見ご指導を賜りますれば幸いに存じます。

We Shall Overcome(Joan Baez ver.)
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