制度の限界が生みだす劣等処遇

今回のお話は、その断片を捉えて、偏った分析をしているに過ぎません。が、しかし事実の一つでもあります。

CSW業務の疑問

社協等に配置されるCSW(コミュニュケーション・ソーシャル・ワーカー)の主な仕事の一つに、「繋ぎ」があります。繋ぎを簡単に云えば、何かしらの困りごとを抱える相談者の内容を整理し、それに対応した支援機関に引き継ぐ事を云います。正式な名称は分かりませんが、筆者はこの俗称を使っています。
(彼らは繋ぎで終わりと主張しますし、制度的にも誤りでないかも知れませんけれど)、本来であれば、繋いだら終わりでなく、その後の見守りや評価、軌道修正をも含む仕事だと考えますが、CSW個人や社協の所在する地域性で差はあるように感じています。
このCSWは、複数人のチームで仕事していますから、自身の知識に行き詰まれば、隣の席に居る同僚に聞けますし、何より、社協という後ろ盾(看板)を背負っていますから、各機関との交渉も比較的容易に成せる筈です。(その代わり、重責も背負っている…と信じたい…)
弊会のように立案する知識者が限られているという状態=全知全能か対応不能の2択である必要は少ない筈なのです。

よくある困り事と介護保険制度

多数派(よくある困りごと)に対する相談支援は確立されつつある思います。例えば介護保険制度が有名でしょうか。福祉は、児童に医療に障害その他と多岐にわたるものですが、昨今は福祉と云えば介護のイメージでないでしょうか。ケアマネジャーは文字通り、ケアをマネージメントする人ですが、この役割の人は介護分野だけに存在するものでありません。

解決困難事例への姿勢

弊会の相談支援事例はレアケースが多く、解決までの道のりが遠いことも多々あります。それに対応するため、できるだけ多くの機関へ相談を持ち込みますが、「繋ぎ」は行いません。なぜなら、大抵の場合、解決しないからです。情報を取得して、それを持ち帰って、もう一度コネ繰り返して、色々な道筋を仮定します。そうして、やはり解決できない事もあります。しかし「無理ですサヨウナラ」で終わらせる事はありません、伴走を続けます。何かの拍子にアイデアや情報が得られる事もあります。ですから、ご本人が去ってゆかない限り、ハイ・サヨウナラは絶対しません。

解決不能理由

各公的準公的機関に任せても解決しない(できない)、とてもシンプル理由にお気づきでしょうか。

  1. 当事者でないから
  2. 家族資源前提だから
  3. 制度と資格の限界
  • (1)は簡単です、その相談対応者は困りごとで苦しんでいるあなた自身でないのです。分かりやすい例を挙げれば、その相談対応者は、今晩のご飯と寝る場所を確保できているのです。後述しますが、その実体験に乏しい事もありましょう。
  • (2)も簡単です、頼れる家族のある事を前提として、現状の福祉制度が組まれている傾向が強いのです。分かりやすい例を挙げれば、枚方市のある老健に掲げられたスローガン「医師看護師介護士だけでなく家族を含めたチームアプローチで支えよう」です。

(3)
一般的にヤヤコシイ話を解決したい場合、いわゆる「弁護士」的なモノを使いますよね。法テラスの立替制度を除いて、弁護士に頼むとなれば「カネ」が要ることは誰でもご存知でしょう。弁護士はそれで食べてる「職業」ですから当然の話です。

一方、いわゆる「無料で相談できる」場所があります。これは、なぜ無料で相談できるのでしょうか。何の得があってあなたの相談に乗るのでしょうか。それは、その相談対応者が「あなたから既にカネを受領している」からです。あなたが払った保険料、あなたが払った税金、細かい事を云えば自治会会費としてあなたが払った募金。

これらによって、見かけ上は無料であなたの相談に応じます。ですから、相談に乗ってくれるその人は、「親切な人」なのではなく、そういう「職業」「仕事」の人なのです。

市民の血税により、職業・仕事として運営される相談支援機関が、未解決事例など出してはならない筈です。けれども、やはり未解決事例は出るのです。その理由は前述しました内容中の全てと、(3)を更に詳細に説明すればお分かり頂けると思います。

制度と資格の限界

公的準公的な相談支援機関に就職し、相談支援業務に従事するには、「国家資格」が必要です。

  1. その資格を得るには「金」「時間」「体力」、そして、「カネ」が必要です。
  2. その資格は他のそれと同様、そのルールから逸脱したなら、取り上げられる可能性があります。
  3. その資格を得るための教育では、対人援助や地域調整の技術は教わるけれど、根本的な財政の問題には触れないように感じます。(財源の仕組については習います)

これらと、前前述内容を組み合わせて見えてくるのは、相談支援事業というものが、あくまで国が決めたルールの中でしかないという事と、極限状況を体験しない多くの相談支援職は、追い込まれているあなたの状況を身体を通して理解しているわけでないと言う事です。

制度の限界が生み出す劣等処遇

自由診療をご存知ですか。保険で賄えない治療を自費で行えるものです。例えば、余命を告知された、しかし生きたい。医者が提案する治療に加えて、試せるものは何でも賭けたい。そう考えるのは普通だと思います。こんな時に自由診療が活躍します。そしてここに分かれ目があります。その人がカネを持つか持たないかで、この賭けに出る機会の資格が規定されるのです。

あるCSWの台詞です。
「可能性に賭けて弁護士を使う事も視野に入るが、現実問題としてそれを経済事情が許さないのであれば、諦めるしかない」

要するに「お金のある人は賭けさせてあげるけど、お金が無いのだから賭けに出る[機会]を与えない」という事なのでしょう。

これは、国の決めた範囲でしか動けない、「資格者」と「制度」の世界のそのももの「限界」が生み出す、[[劣等処遇]] と言えないでしょうか。。

当事者の連帯

家族などに代表される「文句を言う人」が居ない。責任追及者も責任遂行者も居ない。このような事例は本当に有ります。活動柄、お付き合いの多い介護ケアマネさんや訪看の看護師さんらから、よく聞く話です。後見人まがいの作業を善意によって行う介護ケアマネさんを知っています。しかし報酬以上の仕事を際限なく行えるものでありません。

家族頼みの国において、それらを得ない人達は最終的に無縁仏です。こんな事が許されて良いのでしょうか。

よくある困りごと相談、すなわち社協、人権協会、包括、役場で解決できるレベルなら、弊会でも殆ど対応できるでしょう。なぜなら、その先の現場には、その道に精通した人が居て、個別対応してくれるからです。

そして、制度や資格者の限界がある以上、レアな困りごとの場合、どこも頼れません。これは実体験です。中身を知りたいならお話します。そうであるとするならば、いっそのこと当事者同士で考え始めませんか。

  • 弊会の居場所事業も募金という市民の善意で運営しています遠慮なくご利用お願いします。
  • 生活保護は人権保障ツールであって相談支援機関でない実態なのでこのお話からは除外。

児童養護施設と社会的排除-家族依存社会の臨界